【 前編 】 “ 誰かの困りごと ” が原動力 調べて、直して、仕組みを変える。木住野さんの仕事観

社員ブログ#4-3

——エンジニア木住野さんが語る“ヒュープロで働く”ということ

本記事は、木住野さんのエンジニアとしての原点から現在の仕事観に至るまでを、前編・後編の2回に分けてお届けします。

前編では、幼少期の好奇心からキャリアの転機、そしてヒュープロとの出会いまでを。
後編では、入社後のリアルな取り組みや、仕事・人生に通じる価値観について深く迫ります。

後編はこちらから

1. エンジニアの原点

「 壊れたら、とりあえず分解してみる 」

小さい頃から、木住野さんの興味は “ 構造の内側 ” に向いていました。機械に限らず、何かを動かす仕組みを知りたい —— そんな純粋な好奇心が、後にエンジニアという職業に自然とつながっていったと言います。
特に大きな影響を与えたのは、父の存在でした。

「 父は小売業の会社で、社内SEとして40年近く、在庫や売上などの基幹システムを一手に担っていました。家でもよくシステムの話をしていて、自然と“こういう世界があるんだ”と知ることができたんです。 」

4歳からパソコンに触れ始め、小学3年生の頃にはジャンクパーツで自作PCを組み上げていました。さらに設計思考を育てる目的で与えられたプラレールにも熱中したと言います。

「 スタートからゴールまで、どうやったらうまく走るか? 」を考えながら線路を組むその時間も、今思えば“エンジニアの原型”でした。

木住野さんは、中学校に進んでも、興味関心の矛先が揺れることはなく、自宅でファイルサーバーを構築し、LANやサーバー・クライアントの構造を独学で勉強していました。高校・大学にかけてはインターネットに詳しい親友を作り、切磋琢磨しながら知識を深め、東京電機大学の情報系学科に進学しました。

「 大学ではネットワークやアルゴリズムなどを、論理的かつ体系的に“技術を学問として”学べたことが大きかったです。 」

さらにもう一つ、エンジニアという職業に魅力を感じた出来事があります。

「 あるとき、パソコンが動かず友人が困っていたことがあって、自分なら解決策が分かりそうだったので、復旧の手順書を作って渡しました。すると、後日友人から ” 動くようになった! ” と物凄く感謝されたことがありました。自分にとっては、 “ ただ好きで続けてきたこと ” だったものが、人の役に立つんだと実感ができた、大きな出来事でした。それが、今の仕事に誇りを持つようになった原点だと思います。 」

“ 好きだからやっていた ” という純粋な動機に、さらに ” 人の役に立つから ” という動機も加わり、エンジニアの道に進むことを決意しました。木住野さんにとって、エンジニアとは単にコードを書く人ではなく、「 頼られる存在でありたい 」という強い意志を込めた役割です。

2. 転職のきっかけと過去のキャリア

大学卒業後、木住野さんは新卒で受託開発の企業に入社しました。

そこで、情報系のバックグラウンドを活かし、複数のプロジェクトでエンジニアとして経験を積んでいる最中、体調を崩してしまいました。。

「 一時期とっても忙しかった時期があったんですよね。プロジェクトが重なり、同僚の退職も続き、タスクが増える一方で結果的に僕自身も心身を壊してしまって、半年間の休職を余儀なくされました。 」 社員ブログ#4-2 木住野さんはその休職期間を前向きに捉え、“自己と向き合う時間”として過ごしました。

「 自分は何がしたいのか?何ができるのか?をあらためて見つめ直す時間にしました。
その中で気づいたのが、『 自分の技術を通じて、誰かの時間を生み出したい。そして、その時間をもっと幸せなことに使ってほしい 』という想いでした。

その軸をもとに、次の仕事探しも見据えてポートフォリオサイトを作ることにしました。
書類を見ずとも、自分の技術力や設計に対する考え方、価値観までがひと目で伝わるよう、“ 名刺代わりになるサイト ” を意識して設計しました。 」

そしてその取り組みが、思わぬかたちで新たなキャリアの扉を開くことになります。
「 大学の先輩がそのサイトを見て 一緒に働こう、と声をかけてくれたんです。」

こうして木住野さんは2社目のITコンサルティング会社に転職しました。
最初は大学時代の先輩と同じチームで働いていたが、途中で上司が変わり、当初はその上司から「 なぜこの人が来たんだろう? 」と疑問を持たれていたといいます。

「 毎日のように議論を交わしながら、信頼関係を築いていきました。『 僕はこう思います 』と、自分の考えをしっかり伝えていくうちに、徐々に任される範囲が広がっていって、半年後にはプロジェクトのリーダー的なポジションを担うようになっていました。 」

だが、順調に思えた2社目でも思わぬ事態が訪れます。
資金繰りの悪化により経営が立ち行かなくなってしまいました。そこで、木住野さんは退職することとなりました。

こうしたキャリアの転機を通じて、木住野さんの中で「 働く環境 」や「 人との関係性 」に対する価値観がより明確に育っていき、それが後の“ヒュープロとの出会い”へとつながっていきます。

3. 出会いと入社の決め手

ヒュープロとの出会いは、1通のスカウトがきっかけでした。

「 当時、一斉送信ができないスカウト媒体を使用していたんです。だから、届くスカウトは “ ちゃんと自分を見て送ってくれている ” という実感が持てるものが多かったです。その中でも、堀江さんのスカウトはとても丁寧で、ポートフォリオもきちんと見てくれている内容だったので、すごく印象に残りました。 」

スカウトは30社以上から届いていましたが、選考を進めたのは数社のみでした。その中でもヒュープロとの面談は、初回から深いコミュニケーションが生まれたと言います。

「 最初のカジュアル面談はオフラインで行いました。自宅から渋谷まで片道2時間くらいかかるのですが、 “ 直接会ってみないとわからないこともある ” と思って足を運びました。結果、面談は3時間近くに及びましたが、 “ この会社で、この人たちと働いてみたい ” という感覚が生まれたんです。」

ヒュープロのサイトをその場で見せてもらった際には、遠慮なく「 ボタンの作りが甘い 」と指摘してしまったという。
「 後から “ あれ、ちょっと言いすぎたかも ” って反省しました( 笑 )。でも、それがきっかけで、代表の山本さんとも90分話すことになって。普通は社長とそんなに話せる機会ってないですよね。 」

その後も面談は続き、最終的には計5回ほどの対話を重ね、木住野さん自身は「 選考を受けている 」という感覚は薄かったと振り返ります。

「 むしろ “ この人たちともっと話したい ” という気持ちが強くて。話すたびに、自分がやりたいことがこの環境で実現できそうだという確信が強まっていったんです。 」

最終面接の翌日には内定が届き、その時点で他社さんの選考はすべて辞退し、ヒュープロへの入社を即決してくれました。
「 “ フィーリングで決めた ” って言うと軽く聞こえるかもしれませんが、自分にとってはそれがすべてでした。人として自然に会話できて、 “ この人たちとならやっていける ” と心から思えたのが大きな決め手です。 」

もう一つ、木住野さんが入社を決めるうえで大きなポイントとなったのは、山本社長が描く会社のビジョンの明確さだったと言います。

「 この会社が何を目指しているのか、どこに向かおうとしているのか。そのビジョンがすごく明確で、自分の価値観とズレがなかった。それがとても安心感につながりました。 」

人とビジョンに惹かれてヒュープロに入社を決めた木住野さん。
その選択は、入社後の仕事にも良い影響を与えていきます。

後編につづく:ヒュープロで“エンジニアとして生きる”ということ

ヒュープロと出会い、「この人たちと働きたい」と感じました。

それは木住野さんにとって、自分らしく働く未来への確かな第一歩でした。

次回の後編では、入社後のリアルな日々やチームとの関わり、そしてまだ整っていないことも多い環境の中で、どのように価値を発揮しているのかに迫ります。

ヒュープロというフィールドで、一人のエンジニアがどんな未来を描いていくのか、その姿をぜひご覧ください。

後編はこちらから

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