気づけば、最後にブログを書いたのは2024年の元旦。 最近はずっとXだったので、ブログを更新するのは久しぶりです。
2024年。 起業して10年、社会人になって10年。 少しでも誰かの役になってくれたら嬉しくて、 今日は1年のご挨拶に変わって、 10年の学びを書きたいと思います。
2015年11月、大学4年生。 21歳だった私は、ヒュープロという会社を立ち上げた。 当時学生起業全盛期、女性起業家もまだまだ少なかった。
ビジコンで優勝した、というちっぽけな自信を振り翳して、 その裏腹には学生起業して、食べていけなかったら、どうしようと思っていた。
そうやって始まった起業も、予想通りにも、 何もかもうまくいかず、ピンとしたビジネスモデル無く、あっという間に4年経っていた。
25歳。 周りはとにかく楽しそうだった。 同窓会のテーブルでは、微笑ましい新婚の話しか、仕事の話しで、どれもついていけなかった。
増えない社員数に悩んでいた日々も、 売り上げが立たずに株主からの出資金で食い繋いでいた日々も、惨めだった。
それでも真面目に、続けていた。 藤田さんの本を何度も読んで、志を忘れないようにした。
とにかく閃いたビジネスモデルを試し続けていると、売り上げが立ち始めた。 念願の自社オフィスにも引っ越せた。 古びた雑居ビルで、社名も載っていない怪しそうなオフィスなのに、12人も入社してくれた。
(※当時初めて開いた株主集会)
それでもまだまだ、うまくいかなかった。 これからだ!と勢いついた瞬間に、組織崩壊をした。
私にビジネス経験がないからとか、 どうせダメなのかとネガティブな感情に陥ることもあったけれど、 でも、その時も諦めず、立ち直そうと必死に働いた。
そこで、ずっと奮い立たせてくれた「本の藤田さん」に出会い、 出資していただきました。 会社は急激な成長を遂げた。 諦めていたら、藤田さんにも、出資にも出会っていなかった。 チャンスの神様は本当に前髪にしかないんだなと思う。
その全ての恩を必ず返したいという思いで一心に、ここまでやってきた。
そして今、 10年も会社を存続させて、渋谷の真ん中にオフィスを構え、 1番求人の多いサイトとして認めていただけるサービスにまで成長させることができている。
まだまだうまくいかない時期もあって、まだまだ波乱な毎日は続きそうだけど、 大好きな仲間たち、お客さんがいて、 応援してくれるステークホルダーがいて、 日々集中させてもらえて、本当にここまでやって来れてよかったと思います。
社内を振り返って、マネージャーや新しいポジション、社内のラーニング制度(新しい部署に全くゼロベースでチャレンジすることや、学習プログラムを受ける制度)を活用している方は、自分からやりたいという発信をしている方々だった。
だからどんどん、やります、と言った方がいい。 やったことのないことに挑戦をすることは、 失敗するかもしれない、誰かに責められるかもしれない、そんなリスクと隣り合わせです。だから怖いです。 でも、ここでやってしまう失敗なんて、 やってみたら「そうでもないことだったな」と思えるはずです。
やりたいと言えば、何が足りないのかフィードバックをもらえる。 やりたい、と言っていたことを覚えてもらえる。 そしてチャンスは必ずやってくる。
何よりも、やると決めたことを、正解にするプロセスにこそ、成長がある。
1番やってはいけないのは、 責任なきものが、責任負うものを責めることだ。 出る杭は打たない方がいい。それが日本のためだと思った。
私も、思い返すと、一番成長した瞬間は、 起業をすると決断をした時、 エクイティファイナンスをすると決断した時、 思い切った施策や投資を決断した時だった。
起業する時、不安だったのに、 起業してしまってからは、不安を感じる余裕もなく、とにかく動いた。
エクイティファイナンスをすれば後戻りができないと怖かった。 でも後戻りができない選択をしたからこそ、前進させることができた。
決断をする時いつも、怖いという感情と隣り合わせだった。 その分、サバイブする方法を学んだ。仲間の集め方を学んだ。
そして、会社がうまくいかない時、いつもそばに合ったのは、決断の遅れだった。 特に、何か成功するとその成功を守りたくて、新しい変化を起こすことが怖くて、決断できなかった。
誰かに決めてもらうことで責任を逃れたかった。 その場その場の正解を見つけたかった。
でも、10年起業して分かったことがある。 結局、どれほど考えても、想定外のことはいくらでも起きた。 それに対して決断を遅らせることにメリットはなかった。 何かを守ったとしても何かを失うループは延々と起きる。 であれば、自分が早く決断して何か行動した方が良かったと思っている。
決断は一瞬、やるは一生だ。
私は定期的に、活躍するメンバーや、社外で活躍する方々にヒアリングをしてきた。
なぜ、大変な時期があっても、それを乗り越えられたのか? みんなの反対を押し除けて、その決断が取れるのか?
そう聞いた時に、解答の共通点があった。
「人は人、自分は自分、だと思っているから」と言っていた。
成長できない時も、それは自分のせいだと言っていた。 どこにいってもきっと同じだろう、と。
一方で、昨日の自分よりどれほど変化を起こせたのか。 先月の自分よりどれほどチャレンジできていたのか。 常に比較対象は自分で、 そんな自分は、どこに行っても、何をしても変わらないから、 その時々で「自分」に向き合っているのだという。
きっと、成長し続ける秘訣は、 誰かにどう思われるかではなく、 自分がどうありたいかに忠実に従って、向き合っていくことなんだと思った。
私の10年の起業家人生は決して穏やかなものではなかった。 絵に描いたよう華やかなものでもなく、ちゃんと教科書通りの失敗を沢山してきている。
何度でも心が折れるシーンに出会した。 向いてないかも?と思うこともあった。
それでもいつも粘り強く続けられているのは、心の回復力(レジリエンス)を身につけられたからだと思う。
私にとって心の回復力を鍛えてくれたのは2つある。 それは 筋トレとカウンセリング だった。
筋トレは5年続けている。カウンセリングは3年通っている。
心を鍛えようと思えた転機は2回あった。
一つ目は組織崩壊した時だった。 会社のメンバーに誘われて筋トレに行ったのがきっかけだった。 最初は楽しく行っていたが、 どんどん「やれる」という感覚が身についてきた。
調べていくと筋トレが自己効力感を上げてくれるのは科学的根拠があった。
2回目は、家族に大変なことが起きた時だった。 徐に仕事に手がつかなかった経験をした。
何もしてなくても涙が勝手に出るような辛い経験だった。 これでは仕事がうまくいかないと思った。
家族の問題はその時起きても仕事はこれからもずっと付き合っていくものだと思った。 プライベートも同じで、いつどんな時も楽しいことや辛いことと一生付き合っていくものだと思った。 だからその場の苦しさでどちらかを諦める選択なんて取りたくなかった。 私が取りたかったのは、どちらも自分の成長と捉えてどちらも向き合える強さを手に入れることだった。
そこで、高いプレッシャーのもとで仕事をする外国の友人にカウンセリングを勧められた。 米国やイギリスでは結構当たり前の習慣らしい。
カウンセリングでは、ただ起きたことを話し、感じたことを話すだけだった。 時々心理学的にどういう現象なのかを教えてもらえる。
見る見る、心が安定していく感覚があった。 波は激しく無く、自然体で常に明るい気持ちでいられるようになった。
人に話を聞いてもらうということは、ペットを飼っているのと同じ幸福感を感じられる、セロトニンが分泌されるらしい。
私たち起業家は、自分の感情を何度も隠して、我慢して向き合うことが多い。 その感情に、いつしか触れることが怖くなり、心にしまったまま自分に強さの鎧を被せていっている。
その感情に触れ、自分自身のギャップに直視して、解決方法を考える。 これが大きかったんだと思う。
こうやって精神力を強くすると、多分すごくあらゆる仕事が楽になるんだと思う。
心のメンテナンスは大事だと書きましたが、 今の自分を1番支えてくれているのは、ビジョンの力だと思う。
会社をやっていると一筋縄に行かないことばかり。 最短距離で行こうとすればするほど、遠回りになってしまうもどかしさに何度も直面する。
足元の成果を求めようとすればするほど、辛くなる。 そんなことの繰り返し。
それでもめげずにやって、 それでもついてきてくれるメンバーがいるのは、 ビジョンの力だと思う。
どんなに苦難があってと自分が1番ビジョンを信じているからやれる。 常に遠くを見ているから、やれる。 心がずっと元気だいられるのは、自分自身が誰よりもこのビジョンを信じているからだと思う。
メンバーからも、考えを発信して欲しい、と要望を受けたことが何度もある。
夢は人を引き寄せる。 夢は自分のパワーを最大出力値にしてくれる。 夢の力に冷めてはいけない。 夢なんて、と思ってはいけない。
夢の力は偉大である。
社長やリーダーの1番の仕事を定義するとしたら、 ビジョンを掲げることなんだと思う。
私は今日も明日も、 年末年始も24時間365日、 ビジョンを考え、磨き、アジアを代表する会社に近づくことを全力で考えていきたい。
年始に、思うことがある。
10年前まで、私はたった1人の臆病な女子だった。 頭が切れるわけでもなく、煌びやかな経歴があるわけでもなかった。
自己肯定感も低くて、悲観的でネガティブだった。
親は比較的古典的な考えを持っていた。 中学生の時から「女の子は」はそこそこでいいと言われた。 高校生になると、理系進学をするか悩んでいた時に「女の子だから文学部がいい」と親にいわれた。 大学生になると「安定した会社でそこそこで良いのよ」と言われた。
理系の兄弟と、それぞれの才能を持っていた両親に囲まれて、1人、コンプレックスを抱いていた。
そんな私でも、 一つの会社を営み、あの時は想像もできなかった多くの方々と一緒に仕事ができている。
自分の人生を、 悲観的にそれなりに生きていくこともできた。 親のせい、社会のせいにしていたのかもしれない。
でも、自分なりに自分の人生を、自分で変えてきたつもりだった。
できることは少なかったから、 ただ、その時で最大のリスと挑戦を選び、 それをひたすら続けただけだった。
それが徐々に、 自分の人生を自分でよくしていきたい強い信念と、 必ず社会を良くする当事者でありたいという強い気持ちに、 変わっていった。
元々の素朴な自分にあらゆる仲間や武器がくっついたんだと思う。
そうすると新しくなっていく自分が楽しくなる。 誰かに依存しなくても生きていけるようになる。 どこか自分が持っていたコンプレックスや過去を置いてくることができるようになった。
親が決めたレール、 世の中が引いた常識。
そんなものはないんだと思う。
「女性は20代が旬」という言葉の呪縛 「30歳になったらダメになりそう」という言葉の呪縛
全て、「女性としての価値」という誰かが勝手に決めた全く真実ではない一つの概念でしかない。そう思って放り投げよう。
自分の人生を、自分で選べる時代に、 私たちは数十年も前の「一般的にはこれがいい」という概念に囚われることがある。
起業するのも、働くのも、 どう生きるがかっこいいかは、 自分が決めればいい。
人は進化し続ける生き物である。 その道を選べば、そこになんとか順応していく。
決断した勇者には、必ず応援者が現れる。
私はそう信じている。
今の日本に、必要な考え方なんだと思って、 会社を通して社会を変えたい私が今たどり着いた一つの生き方は、 まず日本という国の一人一人に自信とか新しい考え方とか、 武器を身につけて一人一人が自分の力で強くなれる考えを広めていくことだと思っている。
私がやったたった一つのことは、 ただ逃げなかった。それだけ。
他の選択肢が取りやすい世の中だからこそ、粘ることも一つの強みになるんだと思う。
2025年何をしようか悩んでいる人。 挑戦しようか悩んでいる人。 どうしようとモヤモヤしている人。
チャンスの神様は前髪にしかない。 思いきり息を吸って、肩の力を抜いて、 一歩踏み出してみよう。 のびのびとやってみよう。 目の前のことを全力で、ただ、楽しんでいいんだと思う!
2025年、私も失敗も沢山するだろうけど、 この信念をぶらさずに、ビジョンにまっすぐ向かっていきます。大荒波を駆け巡り、 盛大に人生最大のチャレンジを楽しみたいと思います。 2025年もどうかヒュープロをあたたかくお見守りください。
まだやりたいことが見つかっていない人は、 私たちと一緒に、アジアを代表する人生最大のチャレンジをしましょう!
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